トップスタイル本店店長として、最後のブログ。キレイ事なし。
こんにちは
富士宮の美容室トップスタイル本店店長の渡井タケトです。
今回をもちまして、トップスタイルの店長としてのブログは終了します。
なので、100%本音のブログにします。
キレイ事抜き、私のネガティブ面も全て載せますので、本気で美容師として登りつめたい人には少しはヒントになるかと思います。
過度な正直具合で不快に思う方もいるかと思いますので、そういう方は読まないで下さい。
さてさて、
2014年5月入社
気が付けば4年7か月が経っていました。
言うまでもなく、ここまで僕は逆境に逆境で次から次へと来る壁を最初は超え、最後は
ぶち壊して
ここまできました。
僕の生き方は喧嘩上等(暴力は嫌い)
正々堂々と王道で生きる
美容師は美容と売上で勝負
僕にその手の喧嘩を売ってきた美容師さんが何人かいましたが、負けたことはありません。
それはそう
賭けている物と、背負う物の大きさが桁外れに違いますから
だから正直言って、もう疲れました。
入社してから半年は、地元で美容師を続ける事に対しても疑問が出る程のストレスを感じていました。
なぜトップスタイルがここ数年で爆発的成長をしたか、
答えは簡単
居心地の良い弱い者の集まりでなく、社内で自分を信じて心をサロンに置いて、外へ行くなら都内で活躍する人や、海外で活躍する人だけとお付き合いをさせて頂くようになったからです。
ちなみに東京から帰省した時は、ニューヨーク帰りで夢も大きくして帰ってきたのに、当時のトップスタイルは直す所だらけ
一番最初に直したのは、口では皆んな社長の下に居るとは言っていても、実際は社長の気持ちを理解した行動が出来ていなかった点です。
次に地域ナンバーワンでしたが、取り巻く環境から教育、数字に対する社員の意識が低すぎた点
最後は情報量の少なさから来る時代遅れ感
ディーラーやメーカーから入る情報の鮮度は低く、実際は国内トップの美容師とメーカーのトップがとにかく情報を握っているのです。
話が逸れたので戻します
私はそこそこのキャリアを持っていたので、プライドもそれなりにありましたが入社日からアシスタントとして働き、シャンプーの試験からベーシックカットまで全てのカリキュラムを受けました。
予約表も名前が一番下
100万超えるまでアシスタントを使えない
年下に指示される
都合のいい時だけ技術を教えなくてはいけない
当時は殺意さえ湧いていました。
恐らくあの頃は精神状態が人生最悪でしたね
そんな時、皆んな口ばっかりで『建人さん、建人さん』
だからある程度ポディションが上がった所で名刺の名前もカタカナに変えて、下の名前で呼ばれない様にしたのも事実。
ちなみに私のここまでの12月の業績
↓
2014年(入社半年)150万
2015年350万
2016年420万
2017年625万
2018年682万(総客302人)
ここで振り返ると自分の中では75点
2018年最後の締めの時に、サロンスタッフの数字への意識の低さにストレスを感じたからです。
しかし本店単体で12月は2100万(デザイナー7名、うち3名ママさん美容師)だったので、とりあえず任務終了。
心も大切ですが、数字はそれ以上に大切
なぜかと言えば売上が上がるという事は、サロンと担当美容師に魅力があるから
なので数字とサロンレベルというのは1000万/月クラスのサロンにとっては、そこが一番分かりやすい
お客様が満足してくださっていれば↑
お客様の不満が多ければ↓
実にシンプルな仕事。
あとは人材教育という去年の目標の達成が、自分の中では40点
これは時代のせいですね。
美容室が修行の場から、働く場へ
正直言って、そこだけが私には100%出来ないこと
なぜなら自分は一生美容師は修行だと思って生きているから
そして生きていくから。
会社の方向性に店長は必ず逆らってはいけない
だから店長業務は全て後任の者に引き継ぎました。
地域ナンバーワンは伊藤と丸山がリードして、尚子がバランスをとれば、守れるでしょう
私は開拓者として道を広げ、3人気がガッツリ枝を広げる事は間違いないので、そこは安心しています。
ここから先の内容は次のブログで終わらせます。
とにかく私が伝えたかった事は…
美容師になったら、夢を諦めんな。
頑張ってるとか自分で言うな。
必ず死ぬレベルでお客様の事とスタッフの事を想い続けろ。そして感謝しろ。
勝手に集大成とかやるな。毎日一人一人のお客様に全力で生きろ。
業界に評価されたかったら、業界紙に特集される位までのし上がれ。
言い訳なんて、ダサい事するな。
結果出せ。
田舎でもその位は出来る。
環境のせいにするなら、トップスタイルに入れば1番取れる環境があるんだから一緒にやろうぜ、美容師。
全部まとめて面倒見てやるよ!
です。